第11話 初雪とお餅

今朝、窓の外を眺めると、空から白い粒がひらひらと舞い降りてきた。

初雪だ。

45年という月日を生きてくると、雪に対して抱く感情も変わってくる。若い頃は、デートの約束が雪で台無しになるのを恐れたり、慣れない雪道の運転に神経を尖らせたりしていた。けれど、今の僕にとっての初雪は、ただ静かに季節の移ろいを教えてくれる、優しい合図のようなものだ。

「わあ、雪だ!ねぇ、お餅焼かない?」

助手席で雪を見つけた子どものように、彼女が声を弾ませる。

その提案に乗って、僕たちは朝から小さな焼き網を火にかけた。仕事では複雑な経営判断を下すこともあるけれど、目の前でぷうっと不格好に膨らんでいくお餅をじっと見守る時間は、どんな高度な戦略会議よりも僕の心を集中させてくれる。

醤油の焦げる香ばしい匂いが、リビングに広がっていく。

「ほら、これ一番いい感じに焼けたよ」

彼女が差し出してくれたお餅は、少し角が焦げていて、中からは真っ白な生地が顔を出していた。半分に割って、二人で分け合う。熱々のお餅を口に運ぶと、素朴な甘みがじわんと広がった。

「美味しいね」 「ああ、美味しいな」

そんな、なんてことのない会話。

外はどんどん冷え込み、景色は白く染まっていく。けれど、この部屋の中だけは、お餅の湯気と彼女の笑顔で、春のように温かい。

ふと、過去の冬を思い出す。一人で過ごした凍えるような夜や、派手なパーティーでシャンパンを飲んでいた夜。そのどれもが、今のこの「お餅を分け合う時間」ほどの充足感を僕に与えてはくれなかった。

「来年も、その次も、初雪の日はお餅を焼こうね」

彼女が何気なく言ったその言葉に、胸の奥が少しだけ、切なく、そして温かく締め付けられる。

形あるものはいつか変わるかもしれない。けれど、この瞬間の彼女の温度と、醤油の匂い、そして窓の外を舞う白雪の美しさだけは、僕の中に永遠に刻まれていくのだと思う。

僕は彼女の手をそっと握り、もう一口、温かいお餅を頬張った。

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