第8話 逢えない日々

会議室の窓の外は、もうすっかり暗い。資料の山と、鳴りやまないメールの通知。立場上、年に数回、どうにも抜け出せない「戦場」のような日々が訪れる。

そして、今がまさにその時だった。

彼女と会えない日々が、もう一週間になる。

いつもなら、仕事終わりに「今から帰るよ」とメッセージを送れば、「おかえりなさい」とすぐに返信が来る。他愛もないやりとりが、僕の疲労を吹き飛ばしてくれた。

でも、今は違う。

朝早く家を出る彼女に「行ってくる」と囁き、深夜に誰もいない部屋に帰宅する。会話らしい会話もなく、ただ、互いの生活音が、同じ空間にあることだけが、僕たちの繋がりだった。

ベッドに入っても、なかなか寝付けない。横を見れば、彼女の枕がある。いつもは当たり前のように隣で寝ている彼女の不在が、こんなにも心を寂しくさせるものかと、初めて知った。

週末、ようやく仕事が一段落し、家に帰ると、テーブルの上に小さなメモを見つけた。

「部長、お仕事お疲れ様です。疲れていると思うので、今日はゆっくり休んでください。冷蔵庫に、味噌汁があります。温めて飲んでね。あなたのことが、大好きです。」

温かい彼女の文字。

冷蔵庫を開けると、小さな鍋に、たっぷりの味噌汁が用意されていた。

僕は一人、キッチンでそれを温めた。立ち上る湯気から漂う、鰹節と味噌の懐かしい香り。

熱々の味噌汁を、ゆっくりと一口飲む。

ああ、これだ。僕がこの一週間、無意識に求めていた温かさ。

高級レストランのコース料理でも、取引先との豪勢な食事でもない。ただの味噌汁。でも、この塩気と、具材の優しさが、凝り固まった僕の心と体を、ゆっくりと解きほぐしていくようだった。

「あなたのことが、大好きです」

その言葉が、熱い味噌汁と一緒に、僕の心の奥底に染み込んでいった。

逢えない日々は、僕たちの関係にとって、試練でもあり、確認作業でもあったのかもしれない。

離れているからこそ、彼女の存在の大きさに気づく。彼女が僕の日常に、どれだけの温かさと意味を与えてくれていたのか。

深夜、一人きりの部屋で、僕は温かい味噌汁を飲みながら、強くそう思った。

満月が、優しく窓の外を照らしている。この光が、彼女の部屋にも届いていますように。

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