第9話 彼女の寝顔と眼鏡

週末の昼下がり、僕はリビングのソファで本を読んでいた。活字を追うこと自体は、普段の仕事と変わらないが、この時間は何にも追われることのない、僕だけの静寂だ。

ふと、顔を上げると、隣のソファで彼女が眠っていた。

膝には読みかけの本が開きっぱなしで、薄手のブランケットが肩からずり落ちている。穏やかな寝息が聞こえてくる。

その顔を見て、僕は少しだけ胸が締め付けられるような、切ない気持ちになった。

彼女は、普段は活発で明るい。仕事のことも、僕の会社の難しい話も、真剣に聞いてくれる。その瞳はいつもきらきらと輝いていて、僕の心を刺激してくれる。

でも、眠っている彼女は、まるで別人のようだ。

無防備で、幼い。そして何よりも、僕だけに見せてくれる顔。

その時、彼女の鼻筋に、そっと乗せられたままの眼鏡に気がついた。

彼女は、家でリラックスしている時だけ、眼鏡をかける。それが僕のお気に入りの姿の一つだ。フレームの向こうの彼女の目は、いつもの強い光を放つ代わりに、優しく閉じられている。

僕は、そっと手を伸ばし、彼女の眼鏡を外した。冷たいレンズを拭き、サイドテーブルに置く。

眼鏡のない彼女の寝顔は、さらに無垢で、あどけなかった。長い睫毛が影を作り、微かに開いた唇が愛らしい。

若い頃、僕は女性の外見的な美しさや、知的な魅力に惹かれてきた。もちろん、今の彼女にも、人を惹きつける魅力がたくさんある。

だが、僕が本当に愛しているのは、この、力を抜いて、すべてを僕に委ねてくれている寝顔なのだ。

この寝顔を見ていると、僕の胸に湧き上がってくるのは、愛おしさとともに、守らなければならないという、強い責任感だ。会社役員としての重責とは違う、もっと個人的で、温かい重さ。

僕はそっとブランケットをかけ直してあげた。彼女は身じろぎ一つせず、深い眠りの中にいる。

この瞬間、僕は、ただの彼女を愛する一人の男性になる。

窓から差し込む午後の光が、彼女の髪を優しく照らしていた。この温かい光の中で、彼女がいつまでも安らかでいられるように。

僕は、彼女の寝顔を見守りながら、そう静かに願った。

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