パチン、という軽い音とともに、部屋の明かりが一斉に消えた。 冷蔵庫の低い駆動音も止まり、世界から突然、あらゆる人工的なノイズが削ぎ落とされる。
「わ、びっくりした。停電?」 暗闇の中から、彼女の少し弾んだ声が聞こえる。かつて生産現場で機械のトラブル対応に追われていた私なら、すぐにブレーカーの構造や復旧への最短ルートを論理的に思考し始めていただろう。スマートフォンのライトをかざし、効率的に動くことが正解だと信じていたはずだ。
けれど、今の私は動かない。「暗いね」と笑う彼女の気配を、ただじっと闇の中で感じている。
「待ってて、確かここに……あった」 小さな摩擦音のあと、シュッとマッチの火が爆ぜた。彼女がどこからか見つけてきた、古いキャンドルに炎が移る。 ゆらゆらと不規則に揺れるオレンジ色の光が、彼女の丸みのある横顔と、私の部屋の壁を柔らかく浮かび上がらせた。
「なんか、いつもと違う部屋みたい」 彼女は床に膝を突き、キャンドルを挟んで私を見上げている。炎の光を反射して、彼女の瞳が微細に揺れている。デジタルな画面を見るのをやめ、私たちはただ、その小さな炎と、いつもより近くに感じるお互いの呼吸の音に意識を置いた。
「不便だけど、悪くないね」 私が少し笑って言うと、彼女は「いつでもウェルカムだよ、こういう不便なら」と私の言葉を真似して、にやけた。
完璧な日常のシステムが壊れた瞬間に、私たちは一番贅沢な「中今」に没入している。この予期せぬ不便さもしなやかに受け入れ、楽しんでしまう。効率を求める「足し算」の生き方を手放した夜の、キャンドルの温かい匂い。
「電気が戻るまで、このままでいよう」 彼女がそっと私の手に自分の手を重ねる。その体温の解像度が、暗闇の中でいつもよりずっと鮮烈に、私の心に灯っていた。
