第2話 夕日とコーヒー

会社の窓から見える夕日は、いつもどこか寂しげだ。

高層ビル群の隙間から差し込む光は、僕の疲れた心を映し出しているように見えた。今日一日、たくさんの数字と向き合い、難しい決断を下してきた。ふと、コーヒーでも飲もうかとデスクを離れ、給湯室に向かう。

自動販売機のコーヒーは、いつもと同じ味。でも、その一口が、少しだけ僕を現実に引き戻してくれる気がした。

この一杯のコーヒーが、いつか彼女との大切な時間になったのは、少し前のことだ。

その日は、いつもより早く会社を出て、彼女と待ち合わせをした。どこに行こうか、特に決めていなかった僕たち。ただ、電車に乗って、街をぶらぶら歩くだけで楽しかった。

「ねぇ、部長の好きなお店、教えてよ」

彼女が僕の腕にそっと触れながら、そう聞いてきた。

「部長」という呼び方は、僕が彼女にそう呼ぶように言ったものだ。照れくさそうに、でも少し嬉しそうに呼んでくれる彼女の声が、僕は好きだった。

僕は彼女を連れて、昔から通っている喫茶店へ向かった。 そこは、決して有名ではないけれど、マスターがこだわりの豆を丁寧に淹れてくれる、隠れ家のような店だ。

店に入ると、コーヒーの香ばしい匂いが漂ってきた。カウンターの席に並んで座り、僕はいつものブレンドを、彼女はカフェオレを頼んだ。

僕がブラックコーヒーを飲むのを見て、彼女は少し不思議そうな顔をした。

「いつも、そんなに苦いものを飲んでるの?」

「ああ。でも、この苦さが、なぜか落ち着くんだ」

彼女は僕の答えを聞いて、クスッと笑いながら自分のカフェオレを一口飲んだ。

「ねぇ、交換しない?」

彼女の突然の提案に、僕は少し戸惑った。

彼女が飲んでいたカフェオレは、少し甘くて、ミルクの優しい香りがした。僕は一口飲んで、少し照れくさくなった。

「なんだか、部長らしくないね」

僕の表情を見て、彼女は嬉しそうに笑った。

その日の帰り道、空には見事な夕日が広がっていた。茜色に染まる空を見上げながら、僕は彼女に言った。

「君といると、不思議と、甘いものが美味しく感じるんだ」

その言葉に、彼女は何も言わなかった。ただ、僕の手を握る力が、少しだけ強くなった気がした。

あの日の夕日とコーヒーの味は、今でも忘れられない。甘くて、そしてどこか温かい。 明日も、彼女との甘い時間が待っていると信じて、僕は残りの仕事を片付けた。

diary
naocha

製造現場の最前線で、長らく生産技術の仕事に携わってきました。
工作機械の緻密な構造や厳格な規律、そして効率化という名の「引き算」の世界で、日々研鑽を積んできた背景があります。
しかしある時、完璧な設計図の中にも「ゆらぎ」があることに気づきました。
それは、昼と夜の境界に現れる茜色の夕焼けや、どこからともなく漂う金木犀の香りのような、数値化はできずとも確かにそこに「在る」美しさです。
現在は、技術者としての客観的な視点を持ちつつ、物事の「中今(なかいま)」を大切にする精神で、何気ない日常を静かに観察しています。
このブログ『満月を知る』では、物事の本質を見抜こうとする、技術者ならではの視点余計な思考を削ぎ落としていく「引き算」の暮らし矛盾を抱えたまま、ただ「居る」ことの心地よさこれらを大切にしながら、日々の断片を綴っています。私にとって、そしてあなたにとって、世界が「塩大福」のような、甘みと渋みが調和した満腹な場所でありますように。

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