第12話 冬の青空

冬の空は、鋭い。

吸い込む空気は冷たく、肺の奥まで洗われるような感覚。 週末の午前、僕は少しだけ丁寧にブラッシングしたネイビーのウールコートを羽織る。派手さはないが、袖を通すたびに自分の肌に馴染んでいくのを感じる、上質な一着。そんな、飾らないけれど確かなものに惹かれるようになったのは、この歳になってからだ。

「見て、雲ひとつないよ」

隣を歩く彼女が、分厚いマフラーに顔を埋めながら空を指差した。 見上げると、そこには深く、どこまでも澄み切った青が広がっていた。吸い込まれてしまいそうなほどの青だ。

若い頃、冬の空をじっくり見上げる余裕なんてなかった気がする。 常に何かに追いかけられ、成果を求め、地面ばかりを見て歩いていた。立ち止まることは停滞だと、自分に言い聞かせていた。冬の寒さはただ、僕の歩みを邪魔するものでしかなかった。

「綺麗だね」

僕は短く答え、彼女の手をそっと取り、自分のコートのポケットに引き入れた。 冷えた彼女の手が、僕の手のひらでゆっくりと温まっていく。そのささやかな温度のやり取りが、鋭い冬の空気に、柔らかな輪郭を与えてくれる。

「ねぇ、こんなに青いと、どこまでも行けそうな気がしない?」

彼女の無邪気な問いかけに、僕は少しだけ苦笑いした。 「どこまでも」なんて、もう無責任に言える若さではないのかもしれない。背負っているものも、守らなければならない現実も、今の僕にはたくさんある。

けれど、この澄んだ青空の下、彼女の温もりを隣に感じている今なら、そんな青臭い言葉も悪くないと思えた。

人生の冬、という言葉があるけれど。 もし今の僕がその季節にいるのだとしても、こんなに美しい青空を見られるのなら、それも悪くない。

空を見上げながら、僕は彼女と歩く歩幅を少しだけ緩めた。 この鮮やかな青を、できるだけ長く、僕たちの記憶に焼き付けておきたかったから。

diary
ゆう

製造現場の最前線で、長らく生産技術の仕事に携わってきました。
工作機械の緻密な構造や厳格な規律、そして効率化という名の「引き算」の世界で、日々研鑽を積んできた背景があります。
しかしある時、完璧な設計図の中にも「ゆらぎ」があることに気づきました。
それは、昼と夜の境界に現れる茜色の夕焼けや、どこからともなく漂う金木犀の香りのような、数値化はできずとも確かにそこに「在る」美しさです。
現在は、技術者としての客観的な視点を持ちつつ、物事の「中今(なかいま)」を大切にする精神で、何気ない日常を静かに観察しています。
このブログ『満月を知る』では、物事の本質を見抜こうとする、技術者ならではの視点余計な思考を削ぎ落としていく「引き算」の暮らし矛盾を抱えたまま、ただ「居る」ことの心地よさこれらを大切にしながら、日々の断片を綴っています。私にとって、そしてあなたにとって、世界が「塩大福」のような、甘みと渋みが調和した満腹な場所でありますように。

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