第13話 観葉植物

彼女がどこからか、小さな鉢植えを抱えて帰ってきた。 「これ、二人の部屋に似合うと思って」と笑う彼女の腕の中には、艶やかな緑の葉を広げた観葉植物があった。

僕は、長らく生産技術の世界に身を置いていた。機械の構造や動作原理を突き詰め、効率的なマニュアルを作成することが日常だった僕にとって、生きている「植物」を育てるというのは、どこかマニュアルの通じない難解なプロジェクトのようにも感じられた。

最初、僕はその植物を「管理」しようとした。水やりの頻度を計算し、日当たりの条件を精査する。まるで工場での監査を行うかのように、葉の状態をくまなくチェックした。

しかし、彼女は僕のそんな様子を見て、ふふっと笑った。 「そんなに難しく考えなくていいんだよ。ただ、そこにいてくれるだけで」

ふと、自分の好きな「足し算ではなく、引き算」という言葉を思い出した。 何かを与えすぎたり、手を加えすぎたりするのではなく、余計な執着を捨てて、ありのままの姿を眺める。それが、僕が理想とする「禅」にも似た境地だったはずだ。

それからは、葉の表面をじっと眺めるのが日課になった。 レンズを覗き込むような感覚で、葉脈の一つひとつ、気孔の並びまでを解像度高く想像してみる。そこには、どんな精密機械よりも完璧で美しい構造が広がっているように見えた。

最近、少し元気がなかった葉が、風に吹かれてしなやかに揺れている。 その姿を見て、僕の座右の銘が頭をよぎった。

強風に逆らうのではなく、しなやかに靡きながら、それでも折れずにそこに在り続ける。そのしなやかさこそが、本当の強さなのかもしれない。

「あ、また新しい芽が出てるよ」 彼女が指差した先には、まだ小さく、けれど確かな生命力を持った若葉があった。

僕たちは、どちらからともなく手を繋いだ。 マニュアル通りにはいかない日々も、こうして隣で誰かと季節を感じられるなら、それはそれで完璧な「仕様」なのだと思う。

diary
naocha

製造現場の最前線で、長らく生産技術の仕事に携わってきました。
工作機械の緻密な構造や厳格な規律、そして効率化という名の「引き算」の世界で、日々研鑽を積んできた背景があります。
しかしある時、完璧な設計図の中にも「ゆらぎ」があることに気づきました。
それは、昼と夜の境界に現れる茜色の夕焼けや、どこからともなく漂う金木犀の香りのような、数値化はできずとも確かにそこに「在る」美しさです。
現在は、技術者としての客観的な視点を持ちつつ、物事の「中今(なかいま)」を大切にする精神で、何気ない日常を静かに観察しています。
このブログ『満月を知る』では、物事の本質を見抜こうとする、技術者ならではの視点余計な思考を削ぎ落としていく「引き算」の暮らし矛盾を抱えたまま、ただ「居る」ことの心地よさこれらを大切にしながら、日々の断片を綴っています。私にとって、そしてあなたにとって、世界が「塩大福」のような、甘みと渋みが調和した満腹な場所でありますように。

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