窓の外では、夕方からしとしとと途切れのない雨が降り続いている。
日中はそれなりに蒸し暑さを感じる日もあるけれど、雨が連れてくる夜の空気は、思いのほかひんやりとしていた。半袖のシャツ一枚では少し心細く、部屋の中にいても身震いしてしまうような、絵に描いたような梅雨寒の夜だ。
暖房を入れるほどではないけれど、何か羽織るものが欲しい。 そう思って、寝室のクローゼットを開けた。
僕のシンプルな服が並ぶハンガーの並びに、少しだけ違う色彩の、柔らかなグレーの大判ストールが静かに掛けられている。彼女が「また使うから」と言って、いつの間にかここに定位置を作ったものだ。
少しだけ躊躇したけれど、そのストールを手に取り、リビングのソファへ戻った。
広げて膝の上に掛けると、ウール混の優しい柔らかさがじんわりと肌に伝わってくる。僕が持っているものよりもずっと軽くて、どこか甘い、お気に入りの柔軟剤の香りが微かに鼻をくすぐった。
部屋の明かりを落とし、小さなキャンドルに火を灯す。 キッチンでケトルを火にかけ、今夜はただの白湯ではなく、彼女が冷蔵庫のドアポケットに残していった、小さな生姜のはちみつ漬けをスプーン一杯、お湯に溶かしてみた。
マグカップから立ち上る、ピリッとした生姜の香りと湯気。
一口飲むと、喉から胸の奥、そしてお腹の底へと温かい塊がゆっくりと降りていく。 膝の上のストールと、手元のはちみつ生姜。一人で過ごす平日の夜なのに、部屋のあちこちに残っている彼女の「足跡」が、僕の身体を二重に温めてくれているような気がした。
かつての僕なら、こういう肌寒い夜は、ただ寒さを我慢するか、機械的にエアコンのスイッチを入れて部屋を暖めて終わりだった。効率を求めるだけの、味気ない引き算。
けれど今は、誰かが置いていったモノや、誰かが残していった知恵を借りて、この不便な寒さを愛おしむ心の余白がある。
言葉にして「一緒に住んでいる」わけでも、毎日ベタベタと連絡を取り合うわけでもない。お互いの生活のリズムを崩さない、付かず離れずの静かな距離感。それでも、こうして一人の夜にふと訪れる梅雨寒の中で、その存在の温かさを静かに確かめることができる。
スプーンがマグカップの底に当たる、小さな金属音だけが響く部屋。 窓を打つ雨の音はまだ続いているけれど、僕の心は驚くほど穏やかで、満ち足りている。
半分ほど残った生姜湯をゆっくりと飲み干し、僕はストールの端を少しだけ整えた。今週末、彼女がまたこの部屋の鍵を開けて入ってくるときには、この雨もあがっているだろうか。
