夕方から、なぜだか無性にソースの匂いが恋しかった。
仕事帰りのスーパーで、気がつけば3食入りの焼きそばの袋と、キャベツ、豚肉をカゴに入れていた。お洒落なパスタや手の込んだ煮込み料理もいいけれど、こういう夏の蒸し暑さを感じる夜は、やっぱり焼きそばが食べたくなる。
部屋に戻り、手早くフライパンを火にかける。
豚肉がジューシーに焼ける音に続いて、ざく切りにしたキャベツを放り込む。シャキシャキとした小気味よい音が部屋に響く。麺を入れ、少しの水を注いで蒸気でほぐしたあと、いよいよ付属の粉末ソースを振りかけた。
ジュワッ、という音と共に、あのスパイシーで甘酸っぱい、食欲をそそる香りが一気にキッチンに広がっていく。
「うわ、いい匂い。今夜は焼きそば?」
部屋のチャイムが鳴って、ちょうど入ってきた彼女が、鼻をくすぐる匂いに目を輝かせた。 「タイミングが良かったね」と笑いながら、僕は出来上がった焼きそばを大皿にドサッと盛り付け、テーブルの真ん中に置いた。
青のりと紅生姜を少しだけ添える。気取らない、いつもの引き算の夕食だ。
かつての僕は、誰かと食事をするとなれば、どこかのお店をリサーチしたり、見栄えのいいメニューを用意しなければと、どこか肩に力が入っていた。何かを付け足して、特別な時間を演出しようと必死だったのかもしれない。
けれど、今の僕たちには、このフライパン一つで作った焼きそばを「美味しいね」と言い合いながら、一つの皿から突っつく時間が何よりもしっくりくる。
お互いに取り皿へ分け、口に運ぶ。 濃厚なソースの旨味と、キャベツの甘み。一口食べるごとに、一日の仕事の疲れが綺麗にリセットされていくような気がした。
言葉で何かを縛るわけでもなく、将来の約束を急ぐわけでもない。平日の夜、こうして予定を合わせるでもなくふらりと集まり、同じ大皿の焼きそばを囲んでいる。その明確にしない緩やかさが、私たちにとっての一番心地よい温度なのだと思う。
食後、お皿を片付けたあと、いつものように部屋の明かりを落としてキャンドルに火を灯した。 キッチンで手早く淹れたインスタントコーヒーを二つのマグカップに注ぎ、テーブルに戻る。
ソースの余韻が残る口の中に、コーヒーの温かい苦味がすーっと広がって、お腹の底からじんわりと落ち着いていく。
「やっぱり、焼きそばって最高だね」と、マグカップを両手で包んだ彼女が小さくにやけて(微笑んで)呟いた。
窓の外からは、遠くを走る車の音が微かに聞こえる。 特別なごちそうではないけれど、この気取らない夕食と、食後の香ばしいコーヒー、そして隣にある穏やかな時間。それだけで、僕の平日の夜はこれ以上ないほどに満たされている。
