第21話 絵画

部屋の白い壁に、小さな絵画を掛けた。

先週末、ふらりと立ち寄った街の小さなギャラリーで見つけたものだ。有名な画家の作品でもなければ、高価なものでもない。ただ、どこか霞んだセージグリーンの背景に、一筋の柔らかな光が差し込んでいるような、抽象的な油絵だった。

これまで、僕の部屋の壁には何もなかった。 「無駄なものは置かない」という引き算の生活は心地よかったけれど、いざその絵画を飾ってみると、空間にぽっかりと空いていた空白に、新しい呼吸が吹き込まれたような気がした。

時計の針は午後八時を回っている。 あえて部屋の明かりを落としてみる。少しの灯りに照らされて、昼間とは違う表情を見せる絵画を、ソファに深く腰掛けながら眺める。

かつての僕は、絵画を鑑賞するとき、そこに描かれた「意味」を必死に探そうとしていた。 作者は何を伝えたかったのだろう、この色の配置にはどんな意図があるのだろう、と。それはまるで、仕事の仕様書を読み解くような、頭を使う足し算の作業だった。

けれど、今は違う。 ただ、その色を眺める。 ただ、その静けさを感じる。

せわしない日常の中では、常に「次にするべきこと」に追われがちだ。明日の仕事の段取り、返信していないメッセージ、将来への小さな不安。私たちの脳は、放っておくと勝手に未来や過去へと旅をして、勝手に疲弊してしまう。

でも、この絵画の前にいるときだけは、強制的に「今、この瞬間」に引き戻される。 キャンバスの上に重なる絵の具の凹凸、光の加減で変わる緑の深み。それをじっと見つめていると、頭の中の雑音が少しずつ削ぎ落とされ、心が凪のようになっていく。

「意味なんて、なくていいんだな」

ポツリと呟いた言葉が、静かな部屋に溶けていく。 日記に書くほどの大層な出来事は何もない、いつもと変わらない退屈で愛おしい夜。けれど、壁に一枚の絵があるだけで、時間の流れが少しだけ緩やかになる。不便さを愛おしむ灯りと、静かに佇むセージグリーンの絵画。これだけで、僕の夜は十分に満たされている。

僕はゆっくりと目を閉じた。明日の朝、カーテンを開けたとき、あの絵はどんな表情で僕を迎えてくれるだろう。

diary
naocha

製造現場の最前線で、長らく生産技術の仕事に携わってきました。
工作機械の緻密な構造や厳格な規律、そして効率化という名の「引き算」の世界で、日々研鑽を積んできた背景があります。
しかしある時、完璧な設計図の中にも「ゆらぎ」があることに気づきました。
それは、昼と夜の境界に現れる茜色の夕焼けや、どこからともなく漂う金木犀の香りのような、数値化はできずとも確かにそこに「在る」美しさです。
現在は、技術者としての客観的な視点を持ちつつ、物事の「中今(なかいま)」を大切にする精神で、何気ない日常を静かに観察しています。
このブログ『満月を知る』では、物事の本質を見抜こうとする、技術者ならではの視点余計な思考を削ぎ落としていく「引き算」の暮らし矛盾を抱えたまま、ただ「居る」ことの心地よさこれらを大切にしながら、日々の断片を綴っています。私にとって、そしてあなたにとって、世界が「塩大福」のような、甘みと渋みが調和した満腹な場所でありますように。

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