部屋の白い壁に、小さな絵画を掛けた。
先週末、ふらりと立ち寄った街の小さなギャラリーで見つけたものだ。有名な画家の作品でもなければ、高価なものでもない。ただ、どこか霞んだセージグリーンの背景に、一筋の柔らかな光が差し込んでいるような、抽象的な油絵だった。
これまで、僕の部屋の壁には何もなかった。 「無駄なものは置かない」という引き算の生活は心地よかったけれど、いざその絵画を飾ってみると、空間にぽっかりと空いていた空白に、新しい呼吸が吹き込まれたような気がした。
時計の針は午後八時を回っている。 あえて部屋の明かりを落としてみる。少しの灯りに照らされて、昼間とは違う表情を見せる絵画を、ソファに深く腰掛けながら眺める。
かつての僕は、絵画を鑑賞するとき、そこに描かれた「意味」を必死に探そうとしていた。 作者は何を伝えたかったのだろう、この色の配置にはどんな意図があるのだろう、と。それはまるで、仕事の仕様書を読み解くような、頭を使う足し算の作業だった。
けれど、今は違う。 ただ、その色を眺める。 ただ、その静けさを感じる。
せわしない日常の中では、常に「次にするべきこと」に追われがちだ。明日の仕事の段取り、返信していないメッセージ、将来への小さな不安。私たちの脳は、放っておくと勝手に未来や過去へと旅をして、勝手に疲弊してしまう。
でも、この絵画の前にいるときだけは、強制的に「今、この瞬間」に引き戻される。 キャンバスの上に重なる絵の具の凹凸、光の加減で変わる緑の深み。それをじっと見つめていると、頭の中の雑音が少しずつ削ぎ落とされ、心が凪のようになっていく。
「意味なんて、なくていいんだな」
ポツリと呟いた言葉が、静かな部屋に溶けていく。 日記に書くほどの大層な出来事は何もない、いつもと変わらない退屈で愛おしい夜。けれど、壁に一枚の絵があるだけで、時間の流れが少しだけ緩やかになる。不便さを愛おしむ灯りと、静かに佇むセージグリーンの絵画。これだけで、僕の夜は十分に満たされている。
僕はゆっくりと目を閉じた。明日の朝、カーテンを開けたとき、あの絵はどんな表情で僕を迎えてくれるだろう。
