第28話 フルーツ

初夏の夜の空気は、少し歩くだけで肌にまとわりつくような熱を帯びている。

仕事帰りの火照った身体を落ち着かせたくて、部屋に帰るとすぐに冷蔵庫を開けた。少し前に彼女が「これ、美味しいんだよ」と言って、僕の部屋の冷蔵庫にそっと入れていってくれた、季節のフルーツが冷えている。

今夜はキウイと、一房のシャインマスカット。

一人暮らしの男の冷蔵庫に、こうしたみずみずしい果物が並ぶことは、かつてはまず無かった。日持ちのする野菜や、手軽に食べられるレトルト。効率だけを考えれば、フルーツの皮を剥くという手間は、僕にとって真っ先に引き算されるべき「面倒な作業」だったからだ。

けれど、キッチンでナイフを握り、丁寧にキウイの皮を剥いていくその指先に集中していると、不思議と頭の中の雑念が消えていく。

トントン、と小さなカッティングボードの上で果実を切り分ける音が、静かな部屋に響く。

ガラスの器に盛り付けると、鮮やかなグリーンがキャンドルの光を反射して、まるで小さな宝石のようにきらめいた。

ソファに戻り、並んで座っている彼女の前に器を置く。彼女は「わあ、上手に剥けたね」と嬉しそうに目を細め、フォークを伸ばした。

僕も一口、口に運ぶ。

「……ん、冷たくて美味しい」

口いっぱいに広がる、みずみずしい甘酸っぱさ。 砂糖の強い甘みや、手の込んだスイーツの濃厚さとは違う、素材そのものが持つ自然な潤いが、乾いた喉と身体にすーっと染み込んでいく。

私たちは日々、言葉によるコミュニケーションや、目に見える形での「約束」を求めがちだ。関係性に名前をつけたり、未来の予定をカレンダーで埋め尽くしたり。でも、僕たちの間には、そういう窮屈な足し算は必要ない。

平日はお互いの場所で淡々と過ごし、週末になれば、こうしてどちらからともなく同じ部屋に集まる。そして、冷蔵庫に残されたフルーツを、ただ「美味しいね」と言い合いながら分け合う。

その明確にしない緩やかさこそが、僕たちの乾いた日常を一番優しく潤してくれる。

「これ、アタリだね」と笑う彼女の口元を眺めながら、僕の心には凪のような平穏が広がっていた。

器が空になる頃には、身体の火照りもすっかり引き算され、心地よい涼しさが残った。明日はまた、それぞれの一日が始まる。けれど、このみずみずしい夜の記憶があれば、僕たちはいつでも、自分の心地よいリズムに戻ることができる。

diary
naocha

製造現場の最前線で、長らく生産技術の仕事に携わってきました。
工作機械の緻密な構造や厳格な規律、そして効率化という名の「引き算」の世界で、日々研鑽を積んできた背景があります。
しかしある時、完璧な設計図の中にも「ゆらぎ」があることに気づきました。
それは、昼と夜の境界に現れる茜色の夕焼けや、どこからともなく漂う金木犀の香りのような、数値化はできずとも確かにそこに「在る」美しさです。
現在は、技術者としての客観的な視点を持ちつつ、物事の「中今(なかいま)」を大切にする精神で、何気ない日常を静かに観察しています。
このブログ『満月を知る』では、物事の本質を見抜こうとする、技術者ならではの視点余計な思考を削ぎ落としていく「引き算」の暮らし矛盾を抱えたまま、ただ「居る」ことの心地よさこれらを大切にしながら、日々の断片を綴っています。私にとって、そしてあなたにとって、世界が「塩大福」のような、甘みと渋みが調和した満腹な場所でありますように。

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