めずらしく少しだけ仕事が長引き、帰りの電車の窓にはすっかり夜の景色が広がっていた。
最寄り駅からの帰り道、いつもは通り過ぎる小さな洋菓子店の灯りが、なぜか妙に温かく見えて、ふらりと足が向いた。ショーケースの中に並ぶ色鮮やかなタルトや華やかなチョコレートケーキの中で、僕の目が止まったのは、一番隅にある、驚くほどシンプルなベイクドチーズケーキだった。
過剰なデコレーションもなければ、フルーツのトッピングもない。ただ、綺麗な小麦色に焼き上げられた、潔い姿。
それを一つだけ包んでもらい、崩れないようにそっと持ち帰る。
部屋に帰り、いつものように部屋の明かりを落としてキャンドルに火を灯す。 淹れたての温かい紅茶をマグカップに用意し、小さな皿に移したチーズケーキを机に置いた。
フォークを入れると、しっとりとした重みを感じる。ゆっくりと口に運ぶ。
「……あ、美味しい」
濃厚なチーズのコクの後に、かすかなレモンの酸味が追いかけてくる。甘すぎず、けれどもしっかりとした満足感。 世の中には、たくさんの美味しいものが溢れている。流行りのスイーツや、何層にも重なった複雑な味わいのケーキ。それらを引き算していった最後に残る、この「ただ、丁寧につくられたチーズケーキ」の安心感は、何にも代えがたい。
私たちは日々、頭を使ってたくさんの選択をし、複雑なタスクをこなしている。だからこそ、一日の終わりには、こういう直球で、分かりやすい「ご褒美」が心に深く染み渡る。
紅茶で、体の中からじんわりと温まるのを感じながら、また次の一口を味わう。
特別な記念日でも何でもない、ただ少しだけ仕事が遅くなった月曜日の夜。 けれど、この小さな四角いケーキがあるだけで、張り詰めていた肩の力がスッと抜けていくのが分かる。未来の心配も、今日の反省も、この甘さを前にしてはすべて綺麗に削ぎ落とされていく。
最後の一口を名残惜しく飲み込んで、僕は深く息を吐いた。
お皿を洗いにキッチンへ立ちながら、このささやかな満たされ感を、明日の日記にどう書き残そうかと考えている。
