第23話 チーズケーキ

めずらしく少しだけ仕事が長引き、帰りの電車の窓にはすっかり夜の景色が広がっていた。

最寄り駅からの帰り道、いつもは通り過ぎる小さな洋菓子店の灯りが、なぜか妙に温かく見えて、ふらりと足が向いた。ショーケースの中に並ぶ色鮮やかなタルトや華やかなチョコレートケーキの中で、僕の目が止まったのは、一番隅にある、驚くほどシンプルなベイクドチーズケーキだった。

過剰なデコレーションもなければ、フルーツのトッピングもない。ただ、綺麗な小麦色に焼き上げられた、潔い姿。

それを一つだけ包んでもらい、崩れないようにそっと持ち帰る。

部屋に帰り、いつものように部屋の明かりを落としてキャンドルに火を灯す。 淹れたての温かい紅茶をマグカップに用意し、小さな皿に移したチーズケーキを机に置いた。

フォークを入れると、しっとりとした重みを感じる。ゆっくりと口に運ぶ。

「……あ、美味しい」

濃厚なチーズのコクの後に、かすかなレモンの酸味が追いかけてくる。甘すぎず、けれどもしっかりとした満足感。 世の中には、たくさんの美味しいものが溢れている。流行りのスイーツや、何層にも重なった複雑な味わいのケーキ。それらを引き算していった最後に残る、この「ただ、丁寧につくられたチーズケーキ」の安心感は、何にも代えがたい。

私たちは日々、頭を使ってたくさんの選択をし、複雑なタスクをこなしている。だからこそ、一日の終わりには、こういう直球で、分かりやすい「ご褒美」が心に深く染み渡る。

紅茶で、体の中からじんわりと温まるのを感じながら、また次の一口を味わう。

特別な記念日でも何でもない、ただ少しだけ仕事が遅くなった月曜日の夜。 けれど、この小さな四角いケーキがあるだけで、張り詰めていた肩の力がスッと抜けていくのが分かる。未来の心配も、今日の反省も、この甘さを前にしてはすべて綺麗に削ぎ落とされていく。

最後の一口を名残惜しく飲み込んで、僕は深く息を吐いた。

お皿を洗いにキッチンへ立ちながら、このささやかな満たされ感を、明日の日記にどう書き残そうかと考えている。

diary
naocha

製造現場の最前線で、長らく生産技術の仕事に携わってきました。
工作機械の緻密な構造や厳格な規律、そして効率化という名の「引き算」の世界で、日々研鑽を積んできた背景があります。
しかしある時、完璧な設計図の中にも「ゆらぎ」があることに気づきました。
それは、昼と夜の境界に現れる茜色の夕焼けや、どこからともなく漂う金木犀の香りのような、数値化はできずとも確かにそこに「在る」美しさです。
現在は、技術者としての客観的な視点を持ちつつ、物事の「中今(なかいま)」を大切にする精神で、何気ない日常を静かに観察しています。
このブログ『満月を知る』では、物事の本質を見抜こうとする、技術者ならではの視点余計な思考を削ぎ落としていく「引き算」の暮らし矛盾を抱えたまま、ただ「居る」ことの心地よさこれらを大切にしながら、日々の断片を綴っています。私にとって、そしてあなたにとって、世界が「塩大福」のような、甘みと渋みが調和した満腹な場所でありますように。

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