第22話 おいしい水

夜、部屋の明かりを少し落として、キッチンに立つ。

小さなケトルに水を注ぎ、火にかける。お気に入りの鉄瓶や、こだわりのウォーターサーバーがあるわけではない。どこにでもある普通の水道水を、ただじっくりと沸騰させるだけだ。

コトコトと小さな音が響き始め、やがてシュンシュンと真っ白な湯気が立ち上る。 かつての僕は、喉が渇けば冷蔵庫から冷えた炭酸水を引っ張り出したり、コンビニで味のついたお茶を買い込んでいたりした。刺激や分かりやすい「美味しさ」という足し算を、無意識に求めていたのだと思う。

けれど、最近はこうしてただお湯を沸かし、それを少し冷ました「白湯」を飲む時間が、何よりも贅沢に感じられるようになった。

沸騰したお湯をマグカップに注ぎ、手で持てるくらいの温かさになるまで、ソファに座って静かに待つ。窓の外からは、遠くを走る車の音がかすかに聞こえるけれど、この部屋の中だけは切り離されたように静かだ。

適温になったマグカップを両手で包み込み、ゆっくりと口に含む。

「……あぁ、おいしいな」

ただの温かい水だ。甘みもなければ、香りもない。 けれど、ゆっくりと喉を通り、胃の腑に落ちていくその温かさは、驚くほど身体に優しく染み込んでいく。五感が研ぎ澄まされるというか、身体の内側から余計なものが引き算されて、リセットされていくような感覚。

現代の私たちは、毎日のように情報や刺激、他人の視線といった多くのものを体内に取り込みすぎている。脳も心も、常に満腹で、少しだけ消化不良を起こしているのかもしれない。

だからこそ、一日の終わりに、何も足されていない「ただの水」を飲む。 その引き算の行為が、未来や過去に向かってバタバタと動いていた心を、カチリと「今、この瞬間」に留めてくれる。

特別な味付けなんて、なくていい。 むしろ、何もないからこそ、自分の身体が今、何を欲しているのかがよく分かる。

マグカップが空になる頃には、身体の芯がぽかぽかと温まり、心地よい眠気が静かに降りてきた。明日もまた、いつもと変わらない日常が始まる。けれど、この一杯の水があれば、僕はいつでも自分の中心に戻ってくることができる。

ケトルを元の場所に戻し、僕は部屋の電気を消した。

diary
naocha

製造現場の最前線で、長らく生産技術の仕事に携わってきました。
工作機械の緻密な構造や厳格な規律、そして効率化という名の「引き算」の世界で、日々研鑽を積んできた背景があります。
しかしある時、完璧な設計図の中にも「ゆらぎ」があることに気づきました。
それは、昼と夜の境界に現れる茜色の夕焼けや、どこからともなく漂う金木犀の香りのような、数値化はできずとも確かにそこに「在る」美しさです。
現在は、技術者としての客観的な視点を持ちつつ、物事の「中今(なかいま)」を大切にする精神で、何気ない日常を静かに観察しています。
このブログ『満月を知る』では、物事の本質を見抜こうとする、技術者ならではの視点余計な思考を削ぎ落としていく「引き算」の暮らし矛盾を抱えたまま、ただ「居る」ことの心地よさこれらを大切にしながら、日々の断片を綴っています。私にとって、そしてあなたにとって、世界が「塩大福」のような、甘みと渋みが調和した満腹な場所でありますように。

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