夜、部屋の明かりを少し落として、キッチンに立つ。
小さなケトルに水を注ぎ、火にかける。お気に入りの鉄瓶や、こだわりのウォーターサーバーがあるわけではない。どこにでもある普通の水道水を、ただじっくりと沸騰させるだけだ。
コトコトと小さな音が響き始め、やがてシュンシュンと真っ白な湯気が立ち上る。 かつての僕は、喉が渇けば冷蔵庫から冷えた炭酸水を引っ張り出したり、コンビニで味のついたお茶を買い込んでいたりした。刺激や分かりやすい「美味しさ」という足し算を、無意識に求めていたのだと思う。
けれど、最近はこうしてただお湯を沸かし、それを少し冷ました「白湯」を飲む時間が、何よりも贅沢に感じられるようになった。
沸騰したお湯をマグカップに注ぎ、手で持てるくらいの温かさになるまで、ソファに座って静かに待つ。窓の外からは、遠くを走る車の音がかすかに聞こえるけれど、この部屋の中だけは切り離されたように静かだ。
適温になったマグカップを両手で包み込み、ゆっくりと口に含む。
「……あぁ、おいしいな」
ただの温かい水だ。甘みもなければ、香りもない。 けれど、ゆっくりと喉を通り、胃の腑に落ちていくその温かさは、驚くほど身体に優しく染み込んでいく。五感が研ぎ澄まされるというか、身体の内側から余計なものが引き算されて、リセットされていくような感覚。
現代の私たちは、毎日のように情報や刺激、他人の視線といった多くのものを体内に取り込みすぎている。脳も心も、常に満腹で、少しだけ消化不良を起こしているのかもしれない。
だからこそ、一日の終わりに、何も足されていない「ただの水」を飲む。 その引き算の行為が、未来や過去に向かってバタバタと動いていた心を、カチリと「今、この瞬間」に留めてくれる。
特別な味付けなんて、なくていい。 むしろ、何もないからこそ、自分の身体が今、何を欲しているのかがよく分かる。
マグカップが空になる頃には、身体の芯がぽかぽかと温まり、心地よい眠気が静かに降りてきた。明日もまた、いつもと変わらない日常が始まる。けれど、この一杯の水があれば、僕はいつでも自分の中心に戻ってくることができる。
ケトルを元の場所に戻し、僕は部屋の電気を消した。
