「今日は、もう何も考えたくない……」 部屋に帰るなり、彼女はベッドに倒れ込み、クッションに顔を埋めたまま動かなくなった。仕事のプレッシャーや人間関係の摩擦で、彼女の心のコップが溢れそうになっているのが、言葉にしなくても伝わってくる。
かつての私なら、「何があったの?」と原因を問い詰め、解決のための論理的なアドバイスを並べていたかもしれない。それが相手を想うことだと勘違いしていたからだ。
けれど、今の私は静かに台所へ向かう。 お湯を沸かし、生姜を薄く刻む。レシピ通りの完璧な分量ではなく、今の彼女の弱った輪郭が、一番心地よく受け入れられるような温かさと甘さを想像しながら、ゆっくりと手を動かす。化学反応のように、お湯の中に生姜の鋭さと蜂蜜のまろやかさが溶けていく。
湯気を立てるマグカップを手に、寝室に戻る。 「少し、温かいものでも飲む?」 枕元にそっと置くと、彼女はモゾモゾと顔を出し、申し訳なさそうに身を起こした。
「……ありがとう。何もできなくてごめんね」 「いいよ。何もしないのが、今夜の正解だから」 私はそう言って、彼女から少し離れた床に腰掛け、一冊の本を開いた。
「こうすべきだ」という正しさをすべて削ぎ落とした、引き算の看病。風に靡く芒のように、彼女の「今は立ち上がれない」という状態を、そのまま等身大で全肯定して寄り添う。気の利いた慰めの言葉は言えないけれど、私がただ隣で静かに息をしていることが、彼女の「隙」になればいい。
ゆっくりと生姜湯を口に含む彼女の、喉が鳴る微細な音。 「あったかい……」 彼女の口元に、小さな、本当に小さなほっこりとした緩みが戻る。その笑顔を見るためだけに、私は今夜、この静寂の庭を守り続けている。
